禍福は糾える
世界が透き通っていて喉がカラカラに渇きそうで、そんな感覚がもう少しもう少しと思える
自己の連続性が曖昧だ。何時から現実を認識する事ができ、何時から現実感を喪失したのだろう
選手と観客では見ている物は同じでも体感が全く異なっている。自分は選手としての実感を喪失してから現実がフィルターの外側に弾かれてしまった
芸術が自然を模倣するように、自分も社会を模倣する事ができるのだろうか。再び選手として現在を生きることができるのだろうか
白昼夢が永遠に続いているような感覚。時間が切り離され、自分さえも切り離されいく
しかし、投げやりになったとしても自分と世界を繋ぎ止めなければならない。網がないなら自分で糸を紡いで編んでいくしかない
人間は網があって初めて育つことができる。たとえ常識という雑音が身を軋ませたとしても最後までもがくしかない。それが生きるということなのだろうから